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税理士になったきっかけ

はじめに

 税理士になる前の私をご存じの方からは、「どうして税理士になったの?」、「何があったの?」と訊かれますし、税理士試験の難易度をご存じの方からは、「たいへんだったね。」、「よく頑張ったね。」と労いの言葉をかけて頂きます。

 税理士は、税理士試験のうち会計2科目、税法3科目の合計5科目に合格し、2年以上の実務経験がなければ登録できません。それぞれの合格率が10%強です。道のりは短くありません。

 大学院の修士課程を修了し、修士論文を国税庁が認めれば、税法2科目分の試験が免除される制度があります。ただし、入試倍率が高く、判例に基づく独自解釈の論文が求められ、授業の出席、レポートの提出により必要単位を取得しなければ修了できません。
 この制度を利用した私は、仕事、大学院と税理士試験の勉強、論文の作成、趣味と家族との時間の確保というハードな期間を過ごしました。

 資格取得までの経緯を書き始めるとキリがありません。ここに50歳で開業税理士となった私の生い立ちを記載します。

1. 幼少期~高校時代

 私は、昭和41年2月27日に、京都府京田辺市(当時の綴喜郡田辺町)で生まれました。実家は呉服屋を営んでいました。父は創業者で、従業員を雇ったことはありません。呉服屋といえども近所の御用聞きスタイルで、寝具、婦人服、農作業着から針や糸まで幅広く扱っていました。私は、休まず働く父の背中を見ながら、「いつかは家業を継ぐのかな。」と思っていました。

 運動はできませんが、勉強はまあまあできる小学生でした。塾の先生から「同志社香里なら合格できる。」と言われ、高望みせず素直に受験し、大学までのエスカレーターに乗りました。

 中学3年から高校卒業まで書道部に属しました。週2日しか部活がないことが入部の理由でした。
 ところが、高校時代に転機が訪れました。友人の影響で聴き始めたロック音楽を自ら演奏しようと、アルバイト料でベースギターを買って、友人たちとロックバンドを結成したのです。私にとって画期的な出来事でした。

2. 大学時代

 経済学部に進んだ私は、引き続きバンド活動に打ち込みました。
 「社会人になればバンド活動ができないかもしれない。在学中は悔いを残さず徹底してやろう。」と決意した私は、学内の軽音楽サークル内に留まらず、常に複数のバンドに属し、京都市内のライヴハウスを中心に頻繁にライヴ演奏を行いました。

 幼い頃からタイガースファンの私は、学内の応援サークルにも属しました。
 私が生まれて初めてのタイガースの優勝は2回生(1985年)のときでした。楽器を売って、リーグ優勝の瞬間を明治神宮球場へ観に行きました。以後全てのリーグ優勝(2003年、2005年)の瞬間を球場で観ていることは、タイガースファンの誇りです。

 4回生になって就職活動が始まりました。家業を継ぐことも視野に入れていましたが、商売を縮小する父にその意思はありませんでした。公務員試験、資格試験、教職課程は考えていなかったので、6月から9月にかけて様々な一般企業を訪問しました。

 「音楽やっているからパイオニアに入ったの?」とよく訊かれますが、当時は食品メーカーか化粧品メーカーを志望していました。それらの企業とは縁がありませんでしたが、9月にパイオニア株式会社と京都本社の某メーカーから内定を頂きました。
 前者は大手電機メーカーで、後者は特定分野で圧倒的世界シェアを誇る機械メーカーです。後者も魅力でしたが、ライバルが多いことにやり甲斐を感じ、文系採用人数の多い前者を選択しました。

3.パイオニア株式会社在籍時

 パイオニア株式会社での最初の4年間は、家庭用の音響機器(主にステレオミニコンポなど)と映像機器(主にレーザーディスクプレーヤーなど)の営業で、赴任先は、津営業所(三重県)が3年間、立川営業所が1年間(東京都)でした。
 主に家電量販店、卸店、一般電器店などのチャネルを用いたルート営業で、本社で決められた販売施策を独自にアレンジすることによって売上を拡大しました。

 パイオニア株式会社での以後の17年間は、業務用の情報機器(主にCD-ROMチェンジャー、DVD-ROMチェンジャー、これらを用いた情報システムなど)と映像機器(主にプラズマディスプレイ、DVDプレーヤー、これらを用いた映像システムなど)の営業で、赴任先は、東京が2年間(全国担当)、大阪が15年間(西日本担当)でした。直近の3年半は、プレイングマネージャーとして、西日本全域の営業課長を兼務しました。
 技術革新に伴うニーズの変化に柔軟に対応しなければならない業務用営業は、常に新規開拓が求められます。販売ルートを構築し、システム提案を実施し、OEMビジネスを仕掛けることによって売上を拡大しました。

 入社3ヶ月後に簿記3級合格を目的とする簿記研修が行われました。私は経済学部出身ですが、簿記に関する知識ゼロ。貸方や借方など初耳の連続でしたが、難しい仕訳がすぐ頭に入りました。何度か行われたテストでも、常に私が最初に解き終わって研修室を退出しました。検定試験も難なくクリア。この自信が20年後の税理士志望につながるの
でした。

 社会人になってバンド活動を継続しても、長期連休の予定は埋まりませんでした。28歳で始めたスキューバダイビングがそれを解決してくれました。
 沖縄県阿嘉島での免許取得から結婚までの5年間、年90~100本のペースで潜りました。今は総タンク数469本で10年ほど停止状態。再開が待ち遠しいです(妻とはスキューバダイビングが縁で知り合いました。)

 私が業務用営業に携わった17年間で交換した名刺の数は、約5,800枚でした。これは、ニーズの変化に柔軟に対応した結果と言えます。
 業務用営業の基盤が整備されていなかったので、創意工夫によって売上は容易に上がりました。
 以下が退職後に作成した職務経歴書からの抜粋です。専門用語が多いですがご容赦ください。

創意工夫をモットーとする自身の営業スタイル

  1. 1. 自ら得た情報を基に物事を別角度から考察。斬新な発想と行動力により実績を上げてきました。
  2. 2. 常に相手の立場に立った的確な対応により、顧客との信頼関係を構築してきました。
  3. 3. 話す:聴く=3:7の割合ながら商談の主導権を掴む手法で、多くの潜在ニーズを引き出してきました。

≪特筆事項1≫
 業界初の一般用CD-ROMチェンジャーのプロジェクトリーダーとして、商品企画、宣伝販促、販売計画、販路開拓を立案・実行。他部門との協働も機能し、予想を上回る大ヒット商品となりました。

≪特筆事項 2≫
 ゲームメーカーに対してOEMビジネスを実施。プリントシール機に昇華型プリンター、プライズゲーム機にオーディオパーツを供給。プリントサイズと音質がそれぞれ評価され、アーケードゲーム界における大ヒット商品となりました。

≪特筆事項 3≫
 某結婚式場にプラズマディスプレイを用いた映像展示システムを導入。1部屋38枚のプラズマディスプレイを出窓に見立て、エーゲ海の風景を演出。異例の38台のDVDプレーヤーを同期運転。コンテンツ会社、設計事務所、内装業者等との協働により実現。固定観念に捕われない発想、協業会社との人脈、営業提案力が身を結びました。

≪特筆事項 4≫
 放送局にDVD-ROMチェンジャーを用いたリクエストシステムを導入。現場における細かなニーズに応えるべく社内外のシステム開発部門と調整を図り、実現しました。

≪特筆事項 5≫
 営業課長代行としては1999年、営業課長としては2006年から2009年の退職時まで、プレイングマネージャーとして現場の指揮を執ってきました。売上予算必達のための戦術立案、売上管理、物件進捗、課員へのOJTが主な業務です。特に、情報収集力と行動管理力の強化、商談の効率化、リスク管理に注力しました。

 パイオニア株式会社の退職について随分悩みました。生涯賃金が優先なら残った方が得策ですが、常に新しいことに挑戦したかった私にとって、退職は業種も職種も異なる新たな仕事に就く機会でした。
 同志社とパイオニア株式会社の共通項は開拓者精神です。前者に10年間、後者に21年間も属した私の身体には、この精神が染みついていました。
 「関西に根を張って新たな仕事に挑戦しよう。退職が正しかったかどうかは60歳で思い返そう。」と決意した私は、パイオニア株式会社を退職しました。

 21年半を振り返ってみますと、貴重な経験ばかり思い出されます。これらの機会を頂いたパイオニア株式会社には感謝の気持ちでいっぱいです。

4.税理士志望~現在

 パイオニア株式会社を退職したのは2009年9月です。この時点で国家資格は視野にありません。時間を持て余すので、語学でも勉強しようと思っていました。

 自営業の家庭で育った私は、転勤がなく、独立性の強い仕事に興味がありました。私が選んだ2つの業種は共にこれらを満たしましたが、ハイリスクなため、妻が首を縦に振りません。「どうせお金をかけるなら国家試験の勉強でもすれば。」という妻の一言。受験の経験がない私に国家試験など考えられませんでしたが、勉強するだけなら悪くないと思いました。

 国家資格を選ぶにあたり、司法書士、行政書士、社会保険労務士、公認会計士、税理士がわかる本を読み比べました。そのとき、20年前の簿記研修が頭をよぎりました。「他の国家試験に比べ、税理士試験は計算問題が多く、科目合格は永遠に失効しない。簿記の勉強のステップアップと思えば何かの役に立つだろう。」こうした軽い気持ちで2009年10月に税理士学校の門をくぐりました。

 最初は勉強だけのつもりが、税理士の仕事を知るにつれ、本業にしたい欲求が高まりました。営業経験の豊富な税理士が稀有なことが開拓者精神を刺激しました。勉強開始1年目は通常の就職活動もしましたが、2年目は試験勉強に専念しました。

 税理士登録には試験勉強より大きな壁が立ちはだかります。2年以上の実務経験です。前者は自分次第ですが、後者は雇用されなければ先に進みません。私は一部上場企業の営業管理職経験者ですが、会計業界から見れば45歳の未経験者に過ぎません。そんな私を救ってくれたのが税理士法人キャスダック(当時のデンタルクリニック会計事務所)でした。

 税理士法人キャスダックでは、税理士補助業務として約5年間(会計報告や経営コンサルティングなど)実務に携わりました。税理士法人キャスダック在籍時には、パイオニア株式会社在籍時とは異なった気づきや経験がありました。これらが今後の私の仕事に役立つことは言うまでもありません。

 いよいよ独立開業となりました。幼少の頃から憧れた自営業の道が50歳になって開けたのです。
 ここまで到達するのに多くの方々のお世話になりました。これからも感謝の気持ちを大切にし、お世話になった方々への恩返しを忘れず、上村洋文税理士事務所を運営していきます。
 時間を大切にし、仕事、家族、趣味のバランスが取れた人生を過ごしたい。皆さまと真摯に向き合い、残された人生を共に有意義に過ぎしていければ良いと思います。

 最後に、大学院の入試申込時に提出した研究計画書のうち、税理士の志望動機の箇所を記載します。

  1. 1. 税理士業は、主に中小企業に対して、営業的な側面と違った角度(財務的側面)で接することにより、顧客からの信用と尊敬を得て、感謝される仕事であるため。
  2. 2. 税理士業は、個人の方々のお役に立つことにより、居住地域社会に貢献できる仕事であるため。
  3. 3. 税理士業は、資格に裏付けられることにより、自らの意思で永続的に勤務できる仕事であるため。
  4. 4. 税理士業は、今までお世話になった方々に税務の相談等で恩返しできる仕事であるため。

 以上です。最後まで目を通して頂き、有難うございました。